(画像提供:シビックフォース)
ポイントのチカラで社会に貢献する「ポイント募金」に関するレポートも今回で3回目。ポイント募金を通じてお寄せいただいたご厚意が、被災地支援にどう活かされているのか? 連載最終回となる今回は、寄付先の団体が取り組んでいる支援活動にスポットを当てたいと思います。
〜第3回〜
ポイント募金が時代を変える、社会を動かす!
災害支援への情熱と機動力を評価した寄付先
ポイント募金を実施しているJIPC加盟各社の多くが、日本赤十字社と並んで、寄付先に指定しているのが、公益社団法人シビックフォース(Civic Force)です。
シビックフォースは、国内の大規模災害時に迅速で効果的な支援を行うための連携機関として、2009年1月に設立されました。2011年3月の東日本大震災では、本団体による被災地支援の様子がマスコミを通じ繰り返し報道されたので、“シビックフォース”という名称に聞き覚えのある方も少なくないはずです。
もっとも、名称に聞き覚えはあっても、詳しい活動内容まで知る人はまだまだ限られているのではないでしょうか。そこで、シビックフォース東京事務所をお訪ねして、理事・事務局長を務める根木佳織さんに、団体設立の経緯から詳しい活動内容に至るまで、じっくりとお話を伺いました。
公益社団法人シビックフォース(Civic Force)理事・事務局長 根木佳織さん。災害支援への情熱を熱く語ってくださいました。(シビックフォースHP http://www.civic-force.org)
●設立の経緯について
――シビックフォースは2009年1月に設立された比較的新しい団体とのことですが、どのような経緯で設立に至ったのでしょうか?
根木 若い頃の話になりますが、私にはアフガニスタンやイラクといった国々で、長く人道支援に携わった経験があります。そうした海外での経験が、日本国内で大規模災害が起こった時、どこまで役立つだろうかと、繰り返し考えていました。そんな折りに起こったのが2004年の中越地震でした。急いで現場に入ってみたものの、正直いって、できることはほとんどありませんでした。海外での経験がきっと何かの役に立つはずと考えていましたが、それがあまり役立たなかったのです。
――それはなぜですか?
根木 日本国内で大規模災害が発生すると、それこそたくさんの方々が被災地支援に動き出します。国内の各企業も支援に乗り出しますし、NPOやボランティアもすぐに支援に駆けつけます。報道で食料が足りない、毛布が足りないと知れば、個人で物資を届けたりする方も数多くいらっしゃいます。このような動きが海外とはまるで異なっていました。
――なるほど、国内ならではの事情があったと。
根木 ただし、これも現場で痛感したことですが、確かに数多くの支援が集まりはするものの、では、それが被災した人々の手に確実に届いているかといえば、さまざまなトラブルや問題点などが横たわっていて、なかなか行き届かないというのが実情だったのです。
――そうした場面を実際に目にされたのですね?
根木 中越地震の発生が2004年10月23日。寒い時期でした。震度6強を記録した新潟県の小千谷市では、被災された方々が避難所である体育館で寝泊まりをしていました。その様子をテレビの報道番組が全国に伝えたのですが、この時、特にフォーカスを当てられたお婆ちゃんが「とにかく寒い。毛布があれば助かるんだが」というようなことを訴えたのです。すると次の日、小千谷市の市役所に全国から大量の毛布が届きました。ところが、保管する場所もなければ、配る人手もないということで、結局、体育館の横に放置されることになってしまったのです。すぐ横の体育館の中では、寒いと訴えている方々がまだいらっしゃったのに…。
――いかにも残念な状況ですね。
根木 結局、行政も被災の当事者なんですね。だから、災害直後は調整役を果たしたくとも機能することができない。物資を持って被災地に駆けつけることも、もちろん大事ですが、日本の場合は企業や個人からたくさんの支援物資がかなりのスピード感を持って届けられますので、むしろ、被災地に届いた後、それをいかに被災者一人一人の手に届けるかをコーディネートする“調整役”が絶対に欠かせないと実感しました。
――調整役がいないと、せっかくの志が無駄になりかねないということですね。
根木 ところが、調整役はいわば裏方の仕事なわけです。活動内容が派手ではない分、寄付金もなかなか集まりません。それで誰もやりたがらなかったのですね。2004年の経験で、そのことに気づきまして、これは調整役に特化した団体を改めて作らなければならないと思い至りました。
――それから5年の時を経て、シビックフォースが設立されました。
根木 5年を費やしたのは、案の定、設立資金がなかなか集まらなかったからです。とはいえ、その間、何もしていなかったわけではありません。たとえば、被災した行政が業務を再開できるようになるまでの間、調整役としての役割を補完し、行政が無事、災害対策本部を立ち上げたなら、その役割をスムーズに移譲できるようにしたいと考えていたので、まずは行政の仕組みを学びました。国交省の方や内閣府の方をお招きして何度も勉強会を開きましたね。また、支援物資の輸送は、自分たちでトラックを運転して届けるより、物流を生業とする企業、すなわちロジスティックスサービスのプロと連携した方が、より効果的と考えていましたので、こちらも物流企業から専門家をお招きして勉強会を開きました。5年の間、さまざまな専門家を招いては幾度となく勉強会を重ねてきた結果、このタイミングしかないというところで、2009年、公益社団法人シビックフォースは設立されました。
設立当時を振り返る根木さん。「一刻も早く、一人でも多く救う」という想いを使命に活動されています。
●活動について
――団体設立後、どのような活動をされてきましたか?
根木 2009年の設立から訓練を重ねてきた私たちが、初めて臨むことになった大規模災害が、2011年の東日本大震災でした。あの時はヘリコプターで、すぐに被災地に入ることができました。そこで日本ではおそらく初めての取り組みになると思いますが、SNSを使った情報発信を行いました。テレビ画面では同じような映像が延々と流れていましたが、私たちはそれとは一線を画す、よりきめ細かな情報を現場から発信することができました。細かな情報が求められるなか、一定の役割を果たすことができたのではないかと思っています。
――どのようなチャンネルから情報を発信していたのですか?
根木 インターネット上に、当時としては珍しいクレジットカードで寄付できる募金サイトがあって、私たちはそのサイトを通じて情報を発信していました。寄付はできるし、マスコミが伝えない細かな情報が得られるということで、たちまち口コミで広がり、芸能人やスポーツ選手、著名人まで寄付してくれるようになりました。彼らの呼びかけもあって、支援が支援を呼ぶようにどんどん広がっていき、遂には5万人を超える方々から寄付が寄せられました。まったく無名だった私たち「シビックフォース」も、この時に広く知っていただくことになりました。
――相乗効果ですね。
根木 ただし、悔やまれることもありました。東日本大震災では時を置かずヘリコプターで急行することができたので、報道機関よりも自衛隊よりも早く現場に到着することができました。食糧支援のつもりで臨んだものの、現場は津波に襲われた直後、食糧のことよりも、とにかく行方不明者を探して欲しいという要望が相次ぎました。実際、ヘリコプターを駆使して可能な限り人命救助に努めましたが、そうした状況を想定していなかったこともあり、私たちは人命救助に必要な道具を持っていませんでした。ヘリに積んでおけば、現場でできることはもっと多かったはずです。その時の悔しさはとても大きなものでした。
――なるほど。厳しい状況でしたね。
根木 この時の悔しさを糧に、私たちは2011年からレスキューチームの育成に力を注いできました。2014年8月の広島土砂災害でも、2016年4月の熊本地震でもそうだったのですが、レスキュー犬を含めたサーチ&レスキューチームを災害発生当日に派遣することができたのは、私たちにとって大きな一歩だったかなと思っています。
――調整役に加えて、レスキューチームも組織されたのですか。
根木 もちろん、自衛隊も消防も警察もレスキュー機能を持っています。しかもフルスペックで。でも、いざ大規模災害が起こると、既存の組織が保持している機能だけではカバーできないことが多々あるのです。政府機関が装備するようなフルスペックの機能ではありませんが、民間だからこそ素早く動けるし小回りも利く。レスキュー活動に限らず、被災地では民間だからこそ気づけることがかなりあるのです。
――熊本地震の被災地でもそうした気づきがあったのですか?
根木 はい。被災地に入って一番驚いたのが仮設トイレでした。これがすべて和式トイレだったのです。今、一般家庭でどれだけ和式トイレが使われているでしょうか? もちろん、好んでお使いのご家庭もあるでしょうが、その比率はかなり低いはずです。仮設トイレがすべて和式だったということは、現状を一切加味せず、何十年も見直されてこなかったことを示しています。
――本当に驚くような話ですね。
根木 なにはともあれ、洋式トイレを設置することが先決と思い、すぐさま洋式の仮設トイレを手配しました。皆さんが待ち望んでいたことは、設置してすぐにできた長い行列で分かりました。私たちは行政を批判することが目的ではありませんし、実際、私たちがそうやって行動している様子を、行政の方々はしっかり見てくださっています。それが気づきとなれば、仮設トイレが洋式に変わる日もそう遠くないはずです。行政を批判するのではなく、行政と一緒に取り組むことで、さまざまな不都合を一緒になって変えていきたい。さらには、ひとつの行政の変化が、他の行政にも波及していく。そういった広がりも期待できます。私たち民間が入ることで、気づきを与えられるのではないかと思っています。
2011年の東日本大震災の際、シビックフォースは被害状況を把握するため、ヘリコプターで被災地にいち早く入りました。(画像提供:シビックフォース)
震災発生当初はヘリコプターによる輸送を繰り返し、陸路がある程度確保できたあとは、現地で必要とされる支援物資を配送するトラック定期便の運行を開始しました。(画像提供:シビックフォース)
2016年の熊本地震では、テントの設置と合わせて洋式トイレを設置。新たに設置された洋式トイレを見て、ほっとした表情を見せる方もいたそうです。(画像提供:シビックフォース)
●ポイント募金について
――ポイントサイトが実施しているポイント募金について、ご意見をお聞かせください。
根木 ポイント募金は、私たちに大きな革新をもたらしてくれました。というのも、募金は私たちの口座に入金されるまで、それなりに時差があります。でも、最も多くの資金を必要とするのは発災直後なのです。この時間的なギャップをどうしたら埋められるか? このことが私たちにとって大きな課題だったのです。しかし、最近この状況に変化が生じています。ポイント募金でいえば、寄付金が集まっていることをホームページなどで確認できれば、銀行がお金を貸してくれるようになったのです。銀行がNPOに融資するなんてこと、以前はまったく考えられませんでした。文字どおり画期的な変化です。
――大きな変化ですね。
根木 その後、寄付金の入金※があって、たとえば1カ月以内に融資を完済することができれば、利子もほとんどかかりません。もっといえば、銀行が社会貢献の一貫として、無利子で融資することも珍しくなくなってきました。
(※JIPC加盟企業は、ポイントを引当金として持っています。引当金というのは、将来の支出に備えるために、あらかじめプールしておくお金のこと。JIPC加盟企業は、引当金を必ず保有しなければならない決まりになっているので、ポイント相当分の現金(寄付金など)をスピーディに用意することが可能です)
――いろいろな方面で変化が生じていると。
根木 ポイント募金では寄付という行為がバーチャルに処理されますが、モニターに表示されるバーチャルな数字が現金になると分かっていて、しかも、募金を集めているのが信頼できる企業となれば、金融機関も融資を厭わないということです。こうした劇的な変化は、ポイント募金の高まりをきっかけに生まれたと言えます。まさに時代の象徴的であり、「変化」というものは、やはりインターネットの世界から生まれるものなのかもしれませんね。
――確かにシビックフォースとインターネットとの親和性は高いかもしれませんね。最初期の活動もSNSを利用した情報発信でしたし、寄付金の内訳についてもホームページで詳しく報告されていますね。
根木 いただいた寄付金は1円単位で開示しています。何にどう使ったのか? についてもニュースレターやホームページで詳報しています。こうした情報の透明性については、特に心がけるようにしています。一度寄付された方がその後も繰り返し寄付してくれるか否か、その鍵となるのが情報の透明性だと思っています。
――最後に寄付金の競合相手となる他の支援団体について考えを聞かせてください。
根木 私たちは、私たちのような支援団体がもっと増えてくれることを願っています。寄付先という視点から見れば、競合相手が増えることになりますが、私たちは競合相手が増えてもパイの取り合いにはならない。むしろ、全体の底上げになるだろうと考えています。支援団体が増えるということは、私たちにとってもパートナーを組む相手が増えることに他なりません。そうやって裾野をどんどん広げていくことが何よりも重要なのだと考えています。
ポイント墓金は時代の象徴